セメイから被曝者の声

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カザフスタン共和国



 カザフスタン共和国は、1991年に旧ソ連から独立した中央アジアの広大な国です。カザフスタンでは1949年8月29日から1989年10月19日までの間に、旧ソ連によって456回もの核実験(地下核実験:340回,大気圏内核実験116回)が秘密裏に行われました。この核実験のために、何も知らない多くの人々が被曝しました。核実験場はカザフスタン北東部の都市セメイの西に広がるステップ地帯にあり、広さは約18,400k㎡(四国とほぼ同じ面積)です。
 最初の核実験から42年目を迎えた1991年8月29日に、核実験場は正式に閉鎖されました。しかし、過去40年間に渡って繰り返された核実験が生み出した被曝者の総数は、150万人とも言われています。セメイや旧核実験場周辺の村々では、今なお放射能の影響によって病気に苦しむ人々が大勢います。核実験場が閉鎖されて20年以上を経ても、奇形や病気を抱えた子供が生まれるなど、その被害は現在も続いています。


被曝者証言(2012年8月31日 ドロン村にて)
 2012年夏にCANVaSが実施したカザフスタンへのスタディ・ツアーにおいて、日本の若者とセメイの若者が旧核実験場に近いドロン村を訪問しました。セメイ中心部からドロン村までは直線距離で約75kmあり、車で約1 時間40 分の道のりを移動しました。ドロン村は農業が盛んで、人口は約500人(2012年8月末現在)です。
 訪問団はドロン村の診療所を訪ね、協力者である医師のルステモワ グリナラさんに会いました。村から旧核実験場までは約45kmの距離です。ルステモワ医師によると、村には50 歳以上の老人が多く、村人全員が核実験による放射能の影響を受けています。診療所では、ルステモワ医師の紹介により、3名の被曝者からお話を聞きました。


シャマルバエワ ショルパンさん


シャマルバエワ ショルパンさん(75 歳・女性)
(聞き取り実施日:2012年8月31日)
 シャマルバエワさんはドロン村で生まれ育ち、核実験によるきのこ雲を何度も目撃しました。その時は地震が起きたようだったと、核実験の衝撃を語ってくれました。実験が行われるときは、建物が壊れると危ないため、軍から屋外に出ているように事前に指示があったそうです。しかし、次第に軍からの連絡はこなくなり、いつ実験が起こるか分からない状況でした。
 シャマルバエワさんは乳腺ガンを患い、1995 年と2000 年に手術を受けました。手術は国の負担により無料で受けることができたそうです。毎月国からの補償で、10,800 テンゲ(約5,600円)を受け取っていますが、病気がちで薬代の出費が多いため、補償は充分とは言えません。生活費は、毎月30,000 テンゲ(約15,600 円)の年金と、家族の支えに頼っています。シャマルバエワさんの旦那さんは、肺がんのために2002 年に亡くなったそうです。
 訪問団から原子力発電についてどう思うかを尋ねたところ、爆弾の上に座っているようなもので、将来の子供達のために原子力発電の利用には反対だと答えられました。また、他の人達には自分と同じような病気になってほしくないと言われました。

※テンゲはカザフスタンの通貨単位。
 1 テンゲ=約0.52388円 (2012年8月末現在)


スマグロワ マクザーさん


スマグロワ マクザーさん(67 歳・女性)
(聞き取り実施日:2012年8月31日)
 スマグロワさんはドロン村とは別の村で生まれ育ち、5歳のときに初めて核実験の爆発を見ました。実験があるときは、大人達の判断で子供達は一つの家の中に避難していました。しかし、家が揺れて怖かったため、子供達は家の外に出てしまったそうです。そして好奇心から、核実験の爆発をおもしろがって眺めていたと当時を振り返りました。
 スマグロワさんがドロン村に移り住んだのは、51年前のことでした。46歳の頃に高血圧症になり、2011年に目の手術を受けました。スマグロワさんの旦那さんは、肺がんのために2004年に亡くなったそうです。国からの補償で毎月15,000 テンゲ(約7,800 円)を受け取っている他、月に30,000 テンゲ(約15,600 円)の年金収入があります。訪問団から補償は充分であるかを尋ねたところ、家族が生活を助けてくれているため、補償が足りているかどうかを普段意識することはないそうです。
 また原子力発電についてどう思うかを質問すると、まったく必要のないものであり、将来の子供達に影響があるのではないかと心配な気持ちを語られました。最後に旧ソ連が実施した核実験に対する思いについて尋ねると、許せない気持ちであることを強調されました。

※テンゲはカザフスタンの通貨単位。
 1 テンゲ=約0.52388円 (2012年8月末現在)


プルジャルスカヤ ナデジュダさん


プルジャルスカヤ ナデジュダさん(77 歳・女性)
(聞き取り実施日:2012年8月31日)
 プルジャルスカヤさんは建築の仕事のため、30 歳のときにドロン村に移り住みました。以後、核実験のきのこ雲を何度も目撃しました。建物が揺れて危ないため、実験の時は屋外に出ているように軍から指示がありました。その際に、爆発を見ないように言われましたが、当時は好奇心からその光景を眺めていました。また実験後に、羊や馬などの家畜の毛が抜け落ち、やがて死んでいくのを見たそうです。
 プルジャルスカヤさんは、36 歳から徐々に歯が抜け始め、現在は2 本しか残っていません。この村では同じように歯が抜けている老人が多いそうです。また旦那さんは、1999年に突然亡くなりました。周囲ではがんで亡くなる人も多く、自分がどうなるのか怖かったと、これまでの心境を話されました。
 プルジャルスカヤさんも国からの補償を受け取っていますが、出身地や補償の対象地域における在住期間などの条件により、被曝者の補償金額には違いがあります。プルジャルスカヤさんの場合は、国からの補償と年金を合わせて毎月30,000 テンゲ(約15,600 円)の収入があります。しかし、病気にかかりやすく、薬を買うためのお金は充分ではありません。現在は二人の娘達が生活を支えてくれています。
 プルジャルスカヤさんにとって、被曝の体験を人に話したのは今回が初めてだそうです。日本から来た若者が被曝の話を聞き、それを世界に発信したいという気持ちを持っていることに感動したと語られました。

※テンゲはカザフスタンの通貨単位。
 1 テンゲ=約0.52388円 (2012年8月末現在)


ルステモワ グリナラ医師の話(2012年8月31日 ドロン村にて)


ルステモワ グリナラ医師


ドロン村 診療所

 ルステモワ医師によると、ドロン村では放射能の影響で、心臓病、血圧の病気、がんの患者が多く、がんの中では肺がんが最も多いそうです。また歯の異常も多く見られる他、精神病を抱えた人もドロン村にはたくさんいるそうです。被曝者やその子供、孫の世代に渡って、自殺する人も少なくありません。原因不明でいきなり自殺するケースが多く、核実験による放射能の影響が指摘されています。
 ドロン村の診療所には看護士が2名いますが、ルステモワ医師はドロン村の他にも、周辺の3つの村(モスチック, チェリョムシュカ, ブデネ)の患者も診ています。ドロン村に医療機器はないため、診療所で治療ができない重患は、車で30分ほどかかるビスカラガイという大きな村の病院に行く必要があります。しかし診療所には車がないため、移動はタクシーなど、患者自身が負担しています。
 国から被曝者へのサポートとして、2012年より心臓病の薬が無料でもらえるようになったそうですが、重患に必要な高価な薬はサポートされていません。(ビスカラガイの病院では10日以内の入院は無料となっており、もし車があれば、病院でガソリンの提供も受けられるそうです。)
 ルステモワ医師は、世界中の若者が交流を続けて、平和のための活動を続けてほしいと語られました。